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かじゅうじ
勧修寺
みやじのいやます
<宮道弥益邸宅跡>
●所在地 | :京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6 →地図を見る |
●交通 | :地下鉄「小野」駅下車 徒歩10分 |
勧修寺は真言宗山階派大本山で、山号を亀甲山と称します。ご本尊は本堂に安置されている千手観音像です。 創建は、西暦900年(昌泰3年)に醍醐天皇の生母・藤原胤子(たねこ・いんし)の外祖父である宮道弥益(みやじのいやます)の邸宅を寺に改めたことが起こりです。 勧修寺はのちに醍醐天皇の勅願寺となりました。 醍醐天皇の生母・藤原胤子の両親である藤原高藤(ふじわらのたかふじ)と宮道列子(みやじのたまこ・れっし・つらこ)は、この地で運命的な出会いをして恋に落ちました。 このエピソードは『今昔物語集』にも描かれており、古来、長く愛されてきた物語のひとつです。 勧修寺は、皇室と藤原氏の援助を受けて繁栄し、門跡寺院として代々、法親王が入寺されていました。 1470年(文明2年)の兵火で焼失し、豊臣秀吉の政策で境内が縮小されたものの、皇室と徳川氏の援助で復興。 現在、勧修寺内にある建物は江戸時代のもので、“氷室の池”のそばにある観音堂は昭和初期の建立です。 |
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<管理人のサイト内、勧修寺 関連ページ> ・「PICK UP」>『源氏物語』における光源氏と明石の君のモデル!?藤原高藤と宮道列子のロマンス |
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宸殿<明正殿>の扁額 | 宸殿<明正殿>の裏側 |
宸殿(しんでん)は、1697年(元禄10年)1月に明正天皇の御殿を下賜されたもの。江戸時代初期の御所の建物。 明正天皇(めいしょうてんのう)の父は後水尾天皇、母は徳川秀忠の娘・東福門院和子(まさこ)で、奈良時代以来の女性天皇となられました。 |
樹齢750年のヒノキ科の植物で、一面一本の木です。 |
水戸光圀(通称:水戸黄門)の寄進による灯篭と伝えられています。水戸灯篭または雪灯篭とも呼ばれているそうです。 偃柏槇(はいびゃくしん)に埋もれつつあります。(^-^;) |
1662年(寛文2年)に造営された霊元天皇の仮内侍所(ないしどころ)の旧材を用いて建築されました。 ご本尊の千手観音像が安置されています。 |
お堂の中には、観音像がおられます。またお堂の屋根の上には鳳凰が取り付けられています。 観音堂前は広々として気持ちいいです♪o(^-^)o |
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