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花橘亭〜なぎの旅行記〜平安時代好きの京都旅行記陽春の京都



みやじのいやます ふさいのはか
宮道弥益夫妻墓


●所在地 :京都市山科区大宅中小路町 →地図を見る
●交通 :地下鉄「椥辻」または「小野」下車 徒歩20分
:京阪バス「京都橘大学」または「大宅甲ノ辻」下車


 宮道 弥益 (みやじのいやます)
生没年不詳

平安時代前期の官人。
藤原高藤の妻となった宮道列子の父。
宇多天皇の女御・藤原胤子<贈皇太后>の外祖父。
醍醐天皇の外曾祖父。

宮道氏は、山城国宇治郡を本拠地とした豪族として知られるが、系統は未詳。

『今昔物語集』において宮道弥益は、山城国宇治郡の大領(たいりょう=長官)として登場し、娘の列子を藤原高藤と娶わせ、孫の胤子が醍醐天皇を産んだことにより、四位に叙され修理大夫(修理職の長官)になったという。

実際の弥益は、中下級官人であり、藤原高藤との身分的格差を誇張するために、『今昔物語集』では地方の郡司として描いたのではないかと推察される。


歴史上の記録では、以下のように出世する。

877年 (元慶元年) 正月 漏刻博士 従五位下
882年 (元慶6年) 正月 主計頭と越後介を兼任 従五位上
887年 (仁和3年) 主計頭と伊予権介を兼任

最終官歴は、宮内大輔(くないのたいふ)であったようである。


弥益の邸宅を寺としたのが、京都市山科区に現存する勧修寺である。


『今昔物語集』によると、弥益の妻は、勧修寺の東の山際に大宅寺(おおやけでら)を建立したというが、当時の大宅寺について詳細は不明。

現在の大宅寺境内に宮道弥益夫妻の墓が建つ。また、大宅中学校内に「旧大宅廃寺跡の碑」がある。

宮道弥益と娘の列子、娘婿の藤原高藤と孫たちは、勧修寺の南にある宮道神社に合祀されている。


<管理人のサイト内、関連ページ>
「PICK UP」藤原高藤と宮道列子のロマンスの地 山科



宮道弥益 系図



大宅寺 入口

 京都橘大学への坂道の途中に、大宅寺(おおやけでら)の入口があります。
 私は場所がわからなくて周辺をうろうろしていました。(^^;)


大宅寺 曹洞宗 大宅寺

 曹洞宗 大宅寺



宮道弥益夫妻墓

 お堂前から東を見ると、このように見えます。宮道弥益夫妻墓は木陰にあります。特に案内などはありません。



宮道弥益夫妻墓

 宮道弥益夫妻墓

※この写真は夫妻の墓ではないことが判明しました。現在伝わる夫妻の墓は境内の別の場所にあり、二基の塔のようです。
後日、撮影しなおして差し替えます。(2010年3月追記)

 
近年、娘の宮道列子の供養塔を建立された際、夫妻の墓と同寸に製作なさったのだそうです。



宮道弥益弥生墓

横から見たお墓。



【参考】
「京都の歴史玄関 やましな盆地」 発行:山科区老人クラブ連合会
「平安時代史事典CD-ROM版」 監修:角田文衞/編:古代学協会・古代学研究所/ 発行:(株)角川学芸出版
「今昔物語集 本朝部(中)」 編:池上洵一/発行:(株)岩波書店



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