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みやじのあそんつらこのはか
宮道朝臣列子墓
●所在地 | :京都市山科区勧修寺西栗栖野 →地図を見る |
●交通 | :地下鉄「椥辻」下車 徒歩15分 |
宮道 列子 (みやじのつらこ・れっし・たまこ) |
生年不明〜907年(延喜7年)10月17日薨去 |
宮道弥益(みやじのいやます)の娘。 藤原高藤(ふじわらのたかふじ)との間に 胤子(たねこ)・定国(さだくに)・定方(さだかた)・満子(みつこ)を産む。 宮道弥益邸での藤原高藤と宮道列子の出会いについては『今昔物語集』巻二十二の七「高藤の内大臣の語」に詳しい。 娘の胤子が宇多天皇の女御となり醍醐天皇を産んだため、天皇の外祖母として従三位に叙された。 907年(延喜7年)10月17日薨去。10月26日に正二位が追贈された。 現在、勧修寺<宮道弥益邸宅跡>の南にある宮道神社に、父の弥益や夫の藤原高藤、子どもたちと共に合祀されている。 身分が格上の藤原高藤と結ばれ、娘の胤子のおかげで天皇の外祖母として晴れがましい身の上になった列子(たまこ)。これにより、「たまのこし(玉の輿)」という言葉が生まれたのだとか!?(諸説あり。) 列子と高藤の子孫の一人に紫式部がいる。紫式部が執筆した『源氏物語』に登場する「明石の君」のモデルは、宮道列子ではないかという説もあるらしい。 <管理人のサイト内、関連ページ> ・「PICK UP」>藤原高藤と宮道列子のロマンスの地 山科 |
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宮道列子の墓は、中臣神社の東側にある円墳です。 現在は、勧修寺が管理されています。 画像右側に「宮道朝臣列子墓」の碑がうつっており、画像左側の小高い部分には竹の間から供養塔が見えます。 |
宮道朝臣列子墓の碑が円墳の下にあります。この碑が目印となります。 |
竹林に囲まれる宮道列子供養塔。 2007年(平成19年)の宮道列子1100年忌に勧修寺によって建立されました。 円墳のどこに列子は眠っているのでしょう。 もし列子さんが眠っている上を踏んでいたらごめんなさい。(^^;) |
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当列子様ノ御陵ハ明治維新ノ頃ニ私有地トナリマシタガ当寺ヘ寄進シテ下サイマシタ コノ度大宅寺ニ奉安サレテ居ル列子御両親様ノ塔ト同寸ノ塔ヲ石匠(有)山本石材店ニ建立願イココニ奉安致シマシタ 尊霊ノ永久ニ安ラカナルコトヲ祈念シ奉リマス 平成十九年十月吉日 勧門主 常遍 敬白 |
宮道朝臣列子墓 大宅寺(おおやげでら)にある列子の両親・宮道弥益夫妻の墓と同寸の供養塔だそうです。 |
【参考】 | |
「京都の歴史玄関 やましな盆地」 | 発行:山科区老人クラブ連合会 |
「平安時代史事典CD-ROM版」 | 監修:角田文衞/編:古代学協会・古代学研究所/ 発行:(株)角川学芸出版 |
「今昔物語集 本朝部(中)」 | 編:池上洵一/発行:(株)岩波書店 |
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