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『花橘亭〜なぎの旅行記〜』「平安時代好きの京都旅行記」菊花の京都定期観光バス

定期観光バス
〜源氏物語千年紀in湖都大津〜
源氏物語発祥の地
“びわ湖大津”を訪ねる


とおるじんじゃ
融神社


●所在地 :滋賀県大津市伊香立南庄町1846 →地図を見る
●交通 :JR「雄琴温泉」駅下車 徒歩約1時間
:JR「堅田」駅から江若バスに乗り換えバス停「南庄」下車


融神社

のどかな光景が広がり心地よいです。(*^-^*)


融神社 参道

参道
繁った木々の下を歩いていきます。




 源氏物語千年紀in湖都大津実行委員会による看板がたてられていました。(*^-^)b


 融神社は、平安時代初期、嵯峨天皇の皇子として生まれた源融(みなもとのとおる)とその母・大原全子(おおはらのぜんし・またこ)を祀る神社です。

 源融は河原院という大邸宅を営んだことから河原左大臣とも呼ばれていました。源融は“光源氏のモデル”の一人といわれています。



▽由緒書より


     とおる
     融神社

大津市伊香立南庄町牟禮の岡山一八四六
 
御祭神 正一位河原の左大臣 源融公
配祀神 大原全子 (融公の母親)
  大山咋の神(山の神)
御神紋 十七枚菊
例祭日 四月二十九日 (元五月一日)
境内社 十九社 (内五社は不詳)
特別行事 神誘巡の神事


     由緒

 抑もそも当神社は、人皇第五十二代嵯峨天皇の第十八皇子源融公をお祀りする全国唯一つの神社であります。
 当地は、融公の荘園で現在の社地は公が宇多天皇、寛平年間に南庄村牟禮の岡山に閑居賜ひし旧跡で有り、朱雀天皇天慶八年に旧地に祠を建て鏡一面を御神璽として融公を祀られた事が当社の創始で有る。
 寛和二年花山法皇、近江巡幸の時社殿を造営在らせられ
正一位融大明神と崇称せらる。
 一條天皇、永延二年南庄の水田百町歩を神領とされ、之を始め御歴代天皇奉幣の例有しが、鎌倉時代以後、次第に衰退し
遂に廃絶せり。

 其の後、南庄・谷口・家田・三村の産土の神と成った。
 元亀二年、信長の延暦寺焼討ちにあい、社殿其の他焼亡した。
 天正七年に至りて社殿を再興し神璽を奉遷された。
 後世この神領は武家の所領と成った。
 寛政八年、再び社殿火災に罹り、勅書、神宝等消失す。
 同九年、社殿及び末社等再造営され現在に至る。
 嵯峨の清凉寺、宇治の平等院などは公の別荘でもあった。
 又、公は小倉百人一首  陸奥の しのぶもじずり 誰故に 乱れ染めにし 我ならなくに の読人でもある。
 後の世に紫式部は、光源氏の名で源融公をモデルとして源氏物語を作ったのである。





参道では森林浴が楽しめます♪ 鳥居が見えてくる頃には神聖な雰囲気に・・・



鳥居

融神社 鳥居



鳥居の扁額

鳥居の扁額にも「融神社」と記されています。



拝殿

融神社 拝殿
拝殿の奥に本殿二社が見えます。

 定期観光バス参加者は、写真左に見えるテント下にご用意いただいた椅子に座り、地元の方による源融や融神社に関する解説を拝聴しました。o(^-^)o



あらゆる願い事 融る輪
とおるわ
あらゆる願い事 融る輪

 拝殿の上には輪と釜が設置してありました。

 願いごとを念じながら、100円玉を投じて輪をくぐり、釜に入ると、その願いは叶うそうです。   
釜  私も願いをこめて100円玉を投じましたが、全く入りませんでした。(^^;)



融神社社殿へ
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