花橘亭〜なぎの旅行記〜平安時代好きの京都旅行記風薫る京都大覚寺<紫の縁>




風薫る京都

〜2007年5月20日〜


紫の縁〜源氏物語の世界〜


大覚寺写真集

私が十二単姿で撮影した大覚寺の様子をご紹介します。



十二単

大玄関 松之間に展示してあった十二単。

私自身は実際に拝見していません。(^^;)
この画像は、くたくたさんにご提供いただきました。





五大堂からみた宸殿

五大堂<本堂>からみた宸殿


 宸殿(しんでん)は、江戸時代、後水尾天皇<1596年生〜1680年崩御>から下賜された建物で、後水尾天皇に入内した東福門院和子が女御御所の宸殿として使用されていたものです。

 東福門院和子は、2代将軍・徳川秀忠の娘であり、後水尾天皇との間に産まれた興子内親王は明正天皇となられます。



大覚寺に展示してあった御帳台

宸殿には御帳台(みちょうだい)が展示してありました。
イベント参加者は中に入って記念撮影可能でした。(^^)v



大覚寺 宸殿

格子(こうし)と御簾(みす)が素敵です♪
さらに中の襖絵も素敵なんですよ!!



大覚寺 宸殿の襖絵

宸殿の襖絵
この画像は、くたくたさんからご提供いただきました。


左近の梅 右近の橘
 宸殿前には、「左近の梅」と「右近の橘」が植えられています。

 昔、乗車した定期観光バスのガイドさんのお話によりますと、平安初期、嵯峨天皇の時代は、花といえば桜ではなく梅だった ということにちなんで、「左近の桜」ではなく「左近の梅」を植えられているそうです。

 内裏の紫宸殿の前に植えられている“桜”ですが、平安初期は桜ではなく“梅”が植えられており、その“梅”が“桜”へと変わったのは、仁明天皇(父:嵯峨天皇、母:橘嘉智子)の『承和』年間<834年〜848年>だろうと言われています。



宸殿前に置いてある牛車

御簾(みす)が上がっている牛車



宸殿前に置いてある牛車

夕方、御簾(みす)が下りている牛車



大覚寺 宸殿

狩野山楽(かのうさんらく)筆の牡丹図が少しだけ見えます。
この画像は、くたくたさんからご提供いただきました。



大覚寺 勅使門

宸殿から見た勅使門(ちょくしもん)



宸殿北側と庭湖館へ続く!


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