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初春の京都
〜2007年1月18日〜
★藤原定家の山荘跡伝承地を訪ねる・その1
えんりあん
厭離庵
●所在地 |
:京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2 |
●交通 |
:市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂」下車 |
藤原定家の小倉山荘跡と伝えられるひとつです。
一般拝観は、特別拝観時をのぞき受け付けておられません。
現在は、臨済宗天龍寺派の尼寺で庭には“定家塚”があるそうです。
秋は紅葉がみごとらしいですよ。(^^)
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前ページの慈眼堂と中院山荘跡の看板との間に細い道があります。
入り口を示す石碑には、「小倉山荘旧址厭離庵」と刻まれています。
私はこの石碑と小道に気付かず、何度も前を行ったり来たりしていました。
写真撮影をする私の影が写っています。(^^;) |
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厭離庵へのアプローチ
なんだか素敵です〜。 |
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厭離庵の戸
外観のみ拝見しました。 |
2007年発売、サライ1月号の『百人一首』の舞台・京都を歩く』にて吉海直人氏は
“厭離庵は定家ではなく、定家に色紙を依頼した蓮生(れんしょう)の山荘跡でしょう”
と語っています。(“ ”内引用)当時の山荘とはどんなだったのでしょうね。o(^-^)o
定家と蓮生<百人一首の元となった(?)色紙の依頼者>の関係図
厭離庵の東隣りは公園になっています。
ふとみると・・・

中院入道前大納言藤原為家卿之墓という碑が!!
藤原為家は定家の息子です。
入って進んでいくと、大きな一本の木がありました。
木の上の方。 |
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木の根元には宝篋印塔(ほうきょういんとう)でしょうか、小さな塔があります。
為家さんに合掌。(-人-) |
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隣りを見ると・・・

“定家卿墳遥拝所”という碑がありました。
藤原定家の墓は、京都市北区の相国寺(しょうこくじ)にあります。
『百人一首』の成立は、藤原定家が撰者だという説や
定家が撰したものを為家が一部改訂したという説があります。
※藤原定家について
次は、藤原定家が百人一首を撰定したと伝わる
「時雨亭跡」がある二尊院へ向かいます。
二尊院へ
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