初春の京都
〜2007年1月18日〜
じげんどう(ちゅういんかんのん)
慈眼堂(中院観音)
●所在地 | :京都市右京区嵯峨二尊院門前北中院町 |
●交通 | :市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車 |
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お堂の中には藤原定家の念持仏だった千手観音が安置されているそうです。 |
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お堂の脇にいらっしゃるお地蔵様 |
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木造千手観音立像 慈眼堂の中に安置されています。 |
慈眼堂(中院観音) 清凉寺から西へのびるこの前の道は愛宕道で、両側の一帯が中院である。 12世紀の末、藤原定家(1162〜1241)は中院に山荘を構え、嵯峨の自然を愛してしばしばこの地を訪れた。 慈眼堂の本尊である「木造千手観音立像」は、付属する古文書によると藤原定家の念持仏で、定家の没後、子の為家(1198〜1275)が伝領し、為家からこの地の人々に与えられたものと伝え、長くこの地の豪農浜松屋善助屋敷内の堂に祀られていた。 像は寄木造り、漆箔、彫眼の技法によって制作されており、もの静かな面相と程よい肉身に、小づくりの脇手を配している。保存状態は良く、天衣の体から遊離した部分や、微細な脇手持物の一部までも残っている。 本像は、仁治2年(1241)80歳で亡くなった藤原定家の念持仏とする伝承にふさわしく、12世紀後半の様風を伝えるもので、鎌倉時代初期(12世紀末〜13世紀初頭)における藤原風の美作として貴重なものであり、昭和60年6月1日京都市指定有形文化財に指定された。 なお、慈眼堂では中院の人々が毎年正月14日の夜から15日の日出まで「日待<ひまち>」の行事を行い、また、定家、為家の法要も営んでいる。 京都市 |
●所在地 | :京都市右京区嵯峨二尊院門前北中院町 |
●交通 | :市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車 |
中院山荘跡 (小倉百人一首ゆかりの地) 鎌倉時代の初め、この辺りに僧蓮生の中院山荘があった。 蓮生は、俗名を宇都宮頼綱といい、下野国(現在の栃木県)の豪族で、鎌倉幕府の有力な御家人の一人であった。しかし、政争に巻き込まれるのを避けて出家し、実信房蓮生と名乗った。(このとき郎党60余人も同様に出家した。)後に上洛し、法然上人、次いで善恵上人証空に師事し、この地に山荘を営んだ。 蓮生は和歌の名手で、近くの小倉山麓に山荘を構えていた藤原定家とも親交があり、彼の娘が定家の子・為家に嫁いでいる。 嘉禎元年(1235)5月、定家は蓮生が山荘の障子に貼る色紙の執筆を依頼したのに快く応じ、色紙の一枚一枚に天智天皇以来の名歌人の作を一首ずつ書いた。「小倉百人一首」はこの時の選歌に、後世、後鳥羽、順徳両天皇の作品を加えるなどの補訂を施して完成したものといわれている。 京都市 |