『花橘亭〜なぎの旅行記〜』「平安時代好きの京都旅行記」残暑の京都貴船神社




残暑の京都

●貴船神社 奥宮
思ひ川

 鳥居を越えてすぐにある川(画像には橋が写っています)は、「思ひ川」です。

思ひ川

夫・橘道貞の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は、貴布禰詣でを思い立ちました。当時は奥宮が本社で、参拝者はこの谷川で手を洗い、口をすすぎ、身を清めてから参拝しました。
この谷川は禊(みそぎ)の川、物忌(ものいみ)川だったのです、和泉式部もここで身を清めて恋の成就を願ったのでしょう。
禊の川だった「おものいみ川」が、和泉式部の恋の話と重なり、いつの頃からか「思ひ川」と呼ばれるようになりました。
 
  遅桜なほもたづねて奥の宮
  思ひ川渡ればまたも花の雨

               虚子

≪看板より≫
 奥の宮 入口 奥の宮 入口
奥の宮  奥の宮 本殿

 (ここでデジカメの調子が悪くなったので、これ以後、携帯電話のカメラで撮った写真です。(^_^;)
権地  奥の宮 本殿隣りにある「権地」
貴船神社奥宮
  貴船神社奥宮
 当社は、貴船神社が当初創建されたところで、当社の祭神も本宮と同様、雨や水をつかさどる神、高おかみの神である。
 社伝によれば、反正天皇の時代(五世紀初め頃)に玉依姫(神武天皇の母)が貴船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸したが、そこに祠を営んで水神をまつったのが当社の起こりであるとのことで、地名および社名の起源をこの「貴船」にもとめる説もある。
 境内の本殿横には、この伝説にまつわる船形石があり、これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全につながるとされた。
 また本殿下には巨大な龍穴(縦穴)があり、文久年間(十九世紀中頃)の本殿修理の際、大工があやまってノミをこの中へ落としたところ一天にわかにかき曇り、風が吹きすさんでノミを空中へ吹き上げたという。
 このほか、宇治の橋姫の奇談や和泉式部の恋願成就など、当社にまつわる逸話は数多い。
 なお、当社境内周辺には一九八五年(昭和六〇)年六月に京都市指定天然記念物に指定されたカツラをはじめ、高木が数多く見られ、自然の宝庫としても興味深い所である。      
                  京都市
≪看板より≫
貴船と「鉄輪」伝説 貴船と「鉄輪(かなわ)」伝説
謡曲「鉄輪」の井戸
御船形石

 船形石は、上から見ると、船の形に見えるようです。私は未確認です。(^_^;)


 
 御船形石
この船形の石積みは、玉依姫御神の貴船を、人目を忌みて小石で覆うたと伝う。
航海する時、この小石を戴き携帯すれば、海上安全といわれている。

≪看板より≫



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