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平成20年11月14日(金)→30日(日)開催 |
きゅうさがごしょ だいかくじもんぜき
旧嵯峨御所 大覚寺門跡
●所在地 | :京都市右京区嵯峨大沢町4 |
●交通 | :市バスまたは京都バス「大覚寺」下車 |
⇒旧嵯峨御所大覚寺門跡ホームページ |
大覚寺(旧嵯峨御所) 嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山である。 当山は、嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の貞観18年(876)に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。その後一時荒廃したが、徳治2年(1307)に後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成した。以後、持明院統と皇位継承について争い、明徳3年(1392)当寺で南北両朝の媾和が成立した。 宸殿は、後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築したもので、内部は、狩野山楽筆の「牡丹図」、「紅白梅図」などの豪華な襖絵で飾られている。 その外、御影堂、霊明殿、五大堂、安井堂、正寝殿、庫裏などの堂宇が建ち並び、旧御所の絢爛さを今に伝えている。 京都市 |
大覚寺と『源氏物語』の関係 | |
光源氏のモデルの一人といわれる源融(みなもとのとおる)。 源融は嵯峨天皇の皇子として生まれながら、“源”姓を授かり臣下になった平安時代初期の人物です。 大覚寺は源融の父である嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」の一部が寺に改められたことが起こりです。 『源氏物語』内において、光源氏が造営した「嵯峨の御堂(みどう)」は大覚寺の南に位置し、滝殿の石組みの様子は大覚寺にある滝殿の石組み「名古曽の滝(なこそのたき)」に劣らず趣深く、素晴らしい寺だと記されています。 この「嵯峨の御堂」は源融が嵯峨院南部に建立した山荘“棲霞観(せいかかん)”がモデルだと考えられており、現在の清凉寺境内に相応します。 |
(株)井筒企画さんによる期間限定イベント「紫の縁〜源氏物語の世界〜」で装束体験するべく、webサイト『京と陰陽道楽』のくたくたさんと待ち合わせ♪ 大覚寺内の別室で「紫の縁〜源氏物語の世界」の受付をした際に、大覚寺さんの御守りをいただきました。 絵も王朝風で素敵ですね。「紫の縁」限定のようです。ありがとうございます。o(^-^)o |
オモテ | ウラ |
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