『花橘亭』「平安時代好きの京都旅行記」初春の京都



初春の京都
〜2007年1月18日〜

せいりょうじ
清凉寺

●所在地 京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
●交通 :市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車


 「嵯峨の釈迦堂」として親しまれている清凉寺の地は、平安時代前期、源融(みなもとのとおる)の山荘・棲霞観(せいかかん)があったところで、融の死後、息子の源湛(みなもとのたたう)・源昇(みなもとののぼる)が遺志を継ぎ、阿弥陀三尊を本尊とした仏殿が棲霞観内に完成し棲霞寺が誕生しました。
 この阿弥陀三尊像は現在、国宝に指定されており霊宝館に安置されています。阿弥陀仏は、源融が亡くなる前に自分の顔に似せて作らせたといわれ「光源氏写し顔」の伝説をもっています。霊宝館は春と秋に公開されます。

 清凉寺は、987年、東大寺の僧・「念が宋から釈迦如来像を持ち帰り発願、没後、弟子の盛算が遺志を継ぎ棲霞寺内に釈迦堂を建立したことに始まります。
 正式には、五台山清凉寺といいます。


源融は光源氏のモデルのひとりといわれています。


『源氏物語』
<松風>巻より

造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、劣らずおもしろき寺なり。


(光源氏がご建立なさっている御堂は、大覚寺の南に当たって、滝殿の趣なども、それに負けないくらい素晴らしい寺である。


【本文・訳引用】 渋谷栄一氏のサイト『源氏物語の世界』


 光源氏が造営した「嵯峨の御堂(みどう)」は、大覚寺の南にあり、滝殿の趣なども大覚寺の滝(=名古曽の滝)に負けないくらい素晴らしい寺であるようです。

 この「嵯峨の御堂」こそが、源融の別荘であった棲霞観がモデルと考えられています。

「源氏物語ゆかりの地」説明板bR3 棲霞観跡(清凉寺)





門 山門(仁王門)
愛宕権現社 愛宕権現社
法然上人像 法然上人像

本堂の方を向いておられます。
聖徳太子堂 聖徳太子殿
 多宝塔

 多宝塔の裏側に源融(みなもとのとおる)の墓があります。
多宝塔
源融公墓所

 源融は、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人といわれています。
源融公墓所
源融公墓所
恋の木 源融公墓所の隣りに「恋の木」という木があります。
『源氏物語』の光源氏にちなんだ、縁結びを願う木だそうです。
嵯峨天皇供養塔と壇林(だんりん)皇后供養塔


嵯峨天皇は源融の父です。壇林皇后とは、嵯峨天皇皇后で仁明天皇の生母・橘嘉智子(たちばなのかちこ)のことです。
嵯峨天皇供養塔と壇林皇后供養塔
源昇(みなもとののぼる)公墓碑


源昇は源融の息子です。
河原大納言とも呼ばれました。
源昇は、清凉寺の前身・棲霞寺(せいかじ)の建立に携わりました。
源昇(みなもとののぼる)公墓碑
一切経蔵 一切経蔵

お堂の中には法輪があり、この法輪を一回転すれば一切経を読んだのと同じ功徳が得られます。
私も法輪をまわしてみましたが、重かったです。
鐘楼 鐘楼
豊臣秀頼公首塚 秀頼公首塚
大坂の陣 諸霊供養碑 大坂の陣 諸霊供養碑

秀頼公首塚の隣りにあります。
狂言堂 狂言堂



本堂

清凉寺本堂

三国伝来の木造釈迦如来立像(国宝)がご本尊です。
そのため清凉寺は「嵯峨の釈迦堂さん」と親しまれています。



清凉寺のお庭へ




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