花橘亭〜なぎの旅行記〜平安時代好きの京都旅行記飛鳥・奈良・京都葵祭


2010年

葵祭 路頭の儀
京都御苑観覧席


斎王代


 賀茂斎王は、未婚の皇族女性から卜定(ぼくじょう=占いによって決定)されていました。

 1956年(昭和31年)から現在では、「斎王」に代わる「斎王代」が京都ゆかりの未婚女性から選ばれるようになり、行列に女人列が加えられたそうです。

 葵祭の正式名称は「賀茂祭」。

 いつか上賀茂神社・下鴨神社で執り行われるそれぞれの葵祭に関する神事を見ることがかなったらと思います。


 自分の頭の整理も兼ねて、斎王(斎王代)の行列という観点から見た平安時代と現代の賀茂祭の違いを書き出してみました。


  平安時代 現代 『枕草子』『源氏物語』 
御禊
(ぎょけい)
賀茂祭の前の吉日

 斎王は鴨川の河原で禊を行い、紫野の斎院に入る。御禊を行う鴨川の地点は占いで選定。
5月4日

 斎王代の御禊が行われる。上賀茂神社の御手洗川・下鴨神社の御手洗池にて隔年交代で執り行う。
  『源氏物語』<葵>巻の“車争い”(葵の上vs六条御息所)は初斎院御禊の一条大路が舞台。
 光源氏が御禊の行列に供奉(ぐぶ)したため、見物客が大勢集まった。
賀茂祭
<葵祭>
旧暦4月の中の酉の日

・宮中の儀
・路頭の儀
(勅使一行と斎王一行が一条大路で合流)
・社頭の儀

※斎王は上賀茂神社の神館(かんだち・こうだて)に宿泊。
 
5月15日

・宮中の儀
・路頭の儀
・社頭の儀
 『源氏物語』<葵>巻では、光源氏は紫の君と牛車に同乗して一条大路で祭見物。
還御 賀茂祭の翌日

 斎王一行が紫野の斎院(現在の櫟谷七野神社付近)に帰る。

・還立の儀
   『枕草子』第203段<見るものは>にて、
祭のかへさ、いみじうをかし。
とあり、清少納言は、賀茂祭当日よりも翌日の還御の行列を見物する様子を描写。




葵祭を京都御苑で観覧してのち
廬山寺へ向かいました。


山吹

途中、梨木神社で見た山吹(やまぶき)の花。



廬山寺へ続く。
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