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「コンコン(ドンドン?)」と船べりを叩く音、「ホウホウ」という声が響きます。 船べりを「コンコン」叩くのは、夜になって眠っている川魚を起こすためだそうです。「ホウホウ」という語は、鵜を励ますための鵜匠による掛け声なのだとか。 鵜匠(うしょう)は6羽の鵜を手縄(たなわ)で操り、鵜は篝火(かがりび)の光に集まる鮎を捕らえます。 鵜船(うぶね)は3人乗りです。 |
鵜船(うぶね)には、鵜匠(うしょう)・なか乗り・とも乗り と呼ばれる3名が1組になって乗船されています。 |
鵜匠 | 数羽の鵜を手縄(たなわ)で操り川魚を捕ります |
なか乗り | 鵜匠・とも乗りの助手 |
とも乗り | 鵜船を操縦する責任者 |
鵜船(うぶね)の“へさき”に篝(かがり)をぶら下げるための篝棒(かがりぼう)が取り付けられています。 篝(かがり)=篝火をたくための鉄製のかご |
鮎を捕らえた鵜は、鵜匠によって鵜船へ手繰り寄せられます。鵜は、のどを首結(くびゆい)されているので、鮎はのどで止まったままです。 鵜は捕った鮎を吐籠(はけかご) に吐き、また川へと戻されます。 鮎をはじめとした川魚は、鵜に飲み込まれると、鵜ののどの中で気絶するため鮮度がいいそうです。 |
『源氏物語』内で、鵜飼のことが記されている場面が3度あります。 1、光源氏の別荘・桂の院(かつらのいん)での宴において、鵜飼を鑑賞。=桂川 2、明石の君が住む「大堰の邸(おおいのやかた)」で、光源氏と明石の君が邸宅内から鵜飼の篝火の光を見る。=大堰川 3、光源氏の大邸宅・六條院にお越しになった冷泉帝と朱雀院のために自邸の池で鵜飼を行う。=自邸 ※桂川も大堰川も同じ川です。渡月橋の上流が大堰川、下流が桂川と呼ばれます。 1と3の鵜飼の例を見ると、鵜飼は上流貴族の鑑賞対象であり、“もてなし”のひとつでもあったことが伺えます。 |
■『源氏物語』第19帖 薄雲 いと木繁き中より、篝火どもの影の、遣水の蛍に見えまがふもをかし。 (意味:たいそう茂った木立の間から、いくつもの(鵜飼の)篝火の光が、遣水の上を飛び交う螢のように見えるのも趣深く感じられる。) 【源氏物語本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】 明石の君の「大堰の邸(おおいのやかた)」からは、大堰川の鵜船の篝火の光が蛍の光のように見えたようです。 |
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