『花橘亭〜なぎの旅行記〜』>「平安時代好きの京都旅行記」>菊花の京都>大覚寺
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大玄関(式台玄関) 江戸時代の初め、御所より移築されたもので旧嵯峨御所真言宗大本山大覚寺の玄関です。 大覚寺は、もともと平安時代の初めに嵯峨天皇が造営した離宮嵯峨院に起源し、その後、貞観十八年(876年)寺に改められ初代の門跡に嵯峨天皇の御孫、恒寂法親王が就かれました。日本でも最も古い門跡寺院です。 心経信仰の霊場、芸術文化の殿堂嵯峨御流華道の根本道場です。 この式台玄関の障壁画は狩野永徳によって描かれた「松に山鳥図」です。 文化財保護の立場から国宝の文化財や重要文化財の仏像、障壁画、装飾画等は収蔵庫に収められております。 |
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源氏物語に登場する年中行事は、六條院を舞台とした四季の移ろいの中で記され、貴族が作り出した世界をより華麗にし、物語が展開してゆく一つの表現方法として使われています。9月の代表的な年中行事としては、旧暦9月9日の「重陽の節句」があげられ、この日は中国において陽の数である9が重なっている、ということで重陽と呼ばれます。この旧暦9月9日の節句行事は2008年の新暦では10月7日にあたります。 この重陽の頃は菊の花が盛りで、唐土(もろこし)より伝わった菊の花は万病を避け、不老長寿を保つ薬草として重用されていたので、その菊花の霊力を戴き、邪気を払い長寿を祈って菊酒を飲み、菊の着せ綿という風習を行うことがされました。菊の着せ綿は重陽の日の前日に菊花に真綿をかけておき、一晩おいて菊花の朝露を移した綿で体を拭うと老いが避けるという風習です。 『源氏物語』「幻」巻においては菊の着せ綿を見て亡き紫の上を偲ぶ傷心の源氏の姿が描かれており、『紫式部日記』には道長の正妻である倫子より紫式部が菊の着せ綿を賜ったことが記されています。 このように、私たちが古典に触れるとき、記された年月を新暦で解釈すると、時節が合わなかったり、理解に難しいことがありあます。 平安時代から伝わる年中行事と四季の花々の関わりを、旧暦と新暦の季節のずれで感じることができれば、更に古典への理解が深まる興味深いきっかけとなることと思います。 |
「菊の着せ綿」 重陽の前日九月八日に菊花にかぶせられ、菊花の朝露を含んだ綿です。九月九日、この綿で体を拭うと老いが避けられるのだとか。 「菊酒」 邪気を払い長寿を祈って飲む酒。 菊の花びらを酒に浸しています。 |
酒の肴でしょうか。 |
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