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初春の京都
〜2007年1月12日〜
ありわらのなりひらていあと
在原業平邸址
●所在地 | :京都市中京区間之町通御池下る東側 |
●交通 | :地下鉄「烏丸御池」下車 |
在原 業平 (ありわらのなりひら) |
825年(天長2年)〜880年(元慶4年) |
平安時代初期の歌人。勅撰和歌集に約87入集。 六歌仙(遍照・在原業平・文屋康秀・喜撰・小野小町・大友黒主)の一人。 父は、平城天皇の皇子・阿保親王。 母は、桓武天皇の皇女・伊都内親王。 通称:在五中将(ざいごちゅうじょう)、在中将。 2歳のときに父親王の計らいで、在原朝臣を名乗り、臣籍に下った。 880年(天慶4年)5月18日に従四位上右近衛権中将美濃守で56歳で卒した。 業平の第宅(ていたく)は、左京三条四坊三町に存したと伝わっている。 『伊勢物語』の主人公に目され、二条后藤原高子(清和天皇女御)・伊勢の斎宮恬子内親王(文徳天皇皇女)との恋の逸話で伝説的な業平像が築かれた。 |
百人一首で知られる歌 |
↓『月桜』の管理人:葉つき みかん さんが描かれた作品です。 |
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ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 在原業平朝臣 |
歌の意味: 不思議なことが数多く起こったという神々の時代でも聞いたことがない。竜田川に、鮮やかな紅色の紅葉(もみじ)が散り流れ、水をくくり染め(=絞り染め)にしているとは。 |
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