『花橘亭〜なぎの旅行記〜』「平安時代好きの京都旅行記」桜咲く京都



●旧嵯峨御所 大覚寺(だいかくじ)門跡

 大覚寺は、平安初期の嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の一部で、嵯峨天皇崩御後の貞観18年(876年)嵯峨天皇の皇女 正子(せいし)内親王<淳和天皇皇后>が清和天皇に上奏して寺に改められ大覚寺と名づけられました。
 初代住職は、嵯峨天皇の孫で正子内親王と淳和天皇の子である恒寂(ごうじゃく)法親王が就かれました。

「大覚寺(旧嵯峨御所)」の案内看板by京都市


明智陣屋 式台玄関

 入り口です。

 がーん。(ー_ー)!!
 宸殿(しんでん)が工事中ではありませんか!ちょっと残念。


宸殿

宸殿

 江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物です。内部は「牡丹図」、「紅梅図」の襖が美しいです。


左近の梅          右近の橘

左近の梅 右近の橘

 宸殿の前には「左近の梅」「右近の橘」が配されています。梅には少しだけ花が咲き残っており、橘には実がついていました♪(^^)
 一般に「左近の桜」という名称が知られていることと思いますが、平安初期、御所の紫宸殿の前には現在のように桜が植えられていたのではなく、梅が植えられていました。
 大覚寺では、嵯峨天皇の時代に合わせて桜ではなく、梅を植えられているそうです。



正寝殿 御影堂から唐門を眺める

五大堂から見た宸殿

広いお寺です〜。



大沢池(おおさわのいけ)<庭湖(ていこ)>





 境内の東にある大沢池。周囲1キロの日本最古の庭苑池です。中国の「洞庭湖(どうていこ)」を模して造られたことから「庭湖(ていこ)」とも呼ばれています。

 池の左手奥には、藤原公任が

滝の音は絶えて久しくなりぬれど
 名こそ流れてなほ聞こえけれ 
                
藤原公任

(滝の音は聞こえなくなり水が涸れて久しいけれども、滝の名声は流れ伝わって今もなお聞こえていることだ。)

と詠まれた「名古曽(なこそ)の滝跡」があります。


時雨殿に展示されている中納言公任を見てみる?
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 広々とした気持ちよい池ですよ♪桜がもっと咲いていたら素敵でしょうね!



 大沢池で催された今様歌舞楽を見てみる?



次は清凉寺にまいります。


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