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小袿姿体験
〜『源氏物語』<野分>にみる明石の御方の小袿〜
上の画像は、小袿を着る前の袿姿です。
平安時代は身分が高いほど気軽な略装が許された時代でした。 今回、私が小袿姿を体験させていただくにあたって思い浮かんだのは、『源氏物語』<野分>において、光源氏の来訪にあたり小袿を着て迎えた明石の御方のエピソードです。 |
■『源氏物語』第28帖<野分(のわき)>より 光源氏が明石の御方を見舞う場面 もののあはれにおぼえけるままに、箏の琴を掻きまさぐりつつ、端近うゐたまへるに、御前駆追ふ声のしければ、うちとけ萎えばめる姿に、小袿ひき落として、けぢめ見せたる、いといたし。 (訳:何となくもの悲しい気分で、箏の琴をもてあそびながら、端近くに座っていらっしゃるところに、御前駆の声がしたので、くつろいだ糊気のない不断着姿の上に、小袿を衣桁から引き下ろしてはおって、きちんとして見せたのは、たいそう立派なものである。) 【本文・訳 引用: 渋谷栄一氏のサイト『源氏物語の世界』】 野分[秋の台風]が光源氏の大邸宅・六条院を襲い、光源氏と息子の夕霧が各御殿に住む女君たちを見舞います。 強い風が吹き荒れた翌日、明石の御方は物悲しい気持ちで過ごしていました。そんな折に光源氏の来訪は、明石の御方にとって頼もしく嬉しいことだったでしょう。 ふだん着である袿姿の上から“身分のけじめ”をつけて小袿を着て威儀を正し、光源氏を迎えます。 しかし、光源氏は台風の見舞いの言葉のみでそっけなく去ってしまいます。 当時は絶対的な身分社会とはいえ、残された明石の御方の心中を思うと同じ女としてやるせないです。(>_<) |
『服装から見た源氏物語』(朝日新聞社 発行)の著者 近藤富枝さんは、著書の中で もし明石の上が上流階級の出身だったら、子までなした相手の光が訪れたのに、わざわざ衣架(いか)から小袿をはずして着ることもなかったろう。 と記されています。 明石の御方は受領階級出身であり、六条院の各御殿に住む女主人の中で最も身分が低い女性でもあります。 明石の御方はいつ光源氏が訪れてもいいように、小袿を用意していたと思われます。 |
小袿姿を体験することによって、平安時代の女性にとって私的な空間での晴れ着だった「小袿」について、しばし思いを馳せたのでした。 |
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