『花橘亭』>「平安時代好きの京都旅行記」>[平安な秋の京都]
平安な秋の京都
〜2006年10月28日〜
般舟院陵
●所在地 | :京都市上京区千本通今出川入る |
●交通 | :市バス「千本今出川」下車 |
五辻殿跡
いつつじどのあと
●所在地 | :京都市上京区五辻通千本東入北側 |
●交通 | :市バス「千本今出川」下車 |
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五辻殿址 五辻殿は、「五辻南・大宮西・櫛笥東」にあった後鳥羽上皇の御所(院御所という。)として元久元年(1204)から利用された。 後鳥羽上皇の院御所としては18ヶ所が知られており、このような院御所の盛んな造営の模様を「諸国武士のために押領せられるといえども、天下の力未だ衰えざるか」と記されて、後鳥羽上皇の権勢を讃えている。 (「一条長兼の日記」) 五辻殿の造営者は、後鳥羽上皇の生母(七条院殖子)の弟の坊門信清である。 なお、後鳥羽上皇の院御所としては、高陽院と二条殿が恒常的に使用されており、五辻殿の使用は短期間であったようで、元久3年(1206)以降は不詳である。 (説明版より) |
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五辻斎院=頌子内親王(のぶこないしんのう) | |
久安元年(1145年)〜承元2年(1208年) | |
父は、鳥羽天皇 母は、藤原実能養女で美福門院女房春日局 鳥羽天皇の第七皇女として誕生。 承安元年(1171年)6月28日、賀茂斎院に卜定される<第33代斎院>が、8月14日、病のため退下。五辻斎院と称する。 承安5年(1175年)年6月、父・鳥羽院の菩提を弔うため、高野山に蓮華乗院を建立。 寿永元年(1182年)7月、甥の園城寺宮静恵法親王(後白河天皇の皇子)を猶子とする。 元暦元年(1184年)10月29日出家。 承元2年9月18日薨。64歳の生涯でした。 【参考】 「平安時代史事典」CD-ROM 角田文衞 監修/(財)古代学協会・古代学研究所 編 |
●所在地 | :京都市上京区五辻通智恵光院西入南側 |
●交通 | :市バス「今出川浄福寺」下車 |
→鳥岩楼ホームページ |
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お店の内装も素敵です |
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