『花橘亭』「平安時代好きの京都旅行記」[桜咲き誇る京都]




桜咲き誇る京都

大雲寺
だいうんじ

●所在地 京都市左京区岩倉上倉町305
●交通 :京都バス「岩倉実相院」下車
⇒ 大雲寺公式サイト 


旅行最終日は、『平安京探偵団』のヨウダさんに
いろいろとご案内いただきました。ありがとうございました!!


 『源氏物語』<若紫>巻で、源氏の君は瘧病を患い
「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。」
と聞き、北山のなにがし寺に行きます。

 そして源氏は運命の恋人・紫の君(のちの紫の上)と出会うのでした。

 この「北山のなにがし寺」がどこであるのか諸説ありますが、平安中期、藤原文範が比叡山の真覚上人を開祖として建立した大雲寺だと思われます。

 日野中納言・藤原文範は、紫式部の母方の曾祖父にあたります。紫式部もこの地を訪れたことがあったのではないのでしょうか♪

 遠い平安時代に思いを馳せてきました。\(^o^)/




大雲寺

水飲堂


↓看板より↓
   あかい
  閼伽井(観音水)


 別名「智弁水<ちべんすい>」と云い、智弁僧正(918〜991)が霊水を求めて密教の秘法を修められたとされる伝説と、大雲寺文慶上人<もんけいしょうにん>(965〜1046)の夢に跋難陀龍王<ばつなんだりゅうおう>が現れて「此の地に名水有り、汝に与うべし」とお告げがあり、早速、左の袂<たもと>をもって大地を撫<さ>するとたちまち霊水が湧出したという故事が残っている。
 干ばつにも降雨にも増減しない「不増不滅<ふぞうふげん>の水」と称され古来より霊水として崇められ、心の病・眼の病にことにほか霊験があると平安時代から今日までかわらぬ信仰をあつめている。


   平成十七年十一月
     大雲寺住職 酒井敬淳 記


大雲寺のお手水  お手水に「大雲寺」と彫られています。


寺のさまもいとあはれなり。

と『源氏物語』に書かれた面影はあまり残っていません。
不動の滝 不動の滝 

2本の滝がありました。
沐浴すると霊験があるそうです。

「北山のなにがし寺」には瀧があると書かれていますから、その名残かもしれません。

落ち来る水のさまなど、ゆゑなる滝
(流れ落ちてくる様子など、風情のある滝)
とも記されています。
峰高く、深き巖屋の中にぞ、聖入りゐたりける。

水飲堂の裏手の山を登ってみました。
源氏の君が聖と会ったのは、この辺りでしょうか。




冷泉天皇皇后昌子内親王
 岩倉陵


 昌子内親王は大雲寺を信仰し、大雲寺に観音院を創建したことから、観音院太后とも称されます。
冷泉天皇皇后昌子内親王 岩倉陵
冷泉天皇皇后昌子内親王 岩倉陵




岩座神社
いわくらじんじゃ

大雲寺の鎮守社です。




桜



現在の大雲寺

大雲寺 遮那林

大雲寺 大雲寺

 天禄二年(971)円融天皇勅願寺として創建された。行基菩薩作の十一面観音を本尊とし最盛期には数十の堂舎と千有余人の僧を擁して洛北屈指の名刹として智証大師流の天台法門を伝えた。
大雲寺 閼伽井 大雲寺 閼伽井
池があります。 大雲寺 池


●「源氏物語」 原文と現代語訳
・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』より引用
●参考
『源氏物語の地理』
       角田文衞・加納重文 編/思文閣出版 発行
『源氏物語の鑑賞と基礎知識』5若紫
       監修:鈴木一雄/編集:伊藤博/発行:至文堂

・論文「北山の『なにがし寺』」 角田文衞
『源氏物語を歩く』
       京都新聞社 編/杉田博明 著/光風社出版 発行


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