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花橘亭〜なぎの旅行記〜平安時代好きの京都旅行記向春の京都2012



平安宮内裏跡を歩く♪その2




平安宮内裏温明殿(内侍所)跡

 綾綺殿の東隣りにあった温明殿の跡です。ガレージに説明板が掲示されています。

 温明殿の南側には、三種の神器のひとつである神鏡を祀った賢所(かしこどころ)があり、内侍(ないし)が伺候していました。

「源氏物語ゆかりの地説明板」 bP1 平安宮内裏温明殿(内侍所)跡もどうぞ。







平安宮内裏昭陽舎跡
 温明殿跡の説明板の向かい側(北側)に昭陽舎を示す石碑と説明板があります。
 庭に梨の木が植えてあったことから梨壺と呼ばれました。

 平安宮内裏内の後宮五舎<昭陽舎・淑景舎・飛香舎・凝華舎・襲芳舎>のひとつ。

「源氏物語ゆかりの地説明板」 bP0 平安宮内裏昭陽舎跡(梨壺)もどうぞ。







平安宮内裏東限と建春門跡

 やがて東へ進むと、松林寺というお寺の前に「此付近 聚楽第南外濠跡」の石碑と平安宮内裏東限と建春門跡の説明板があります。

 内裏にある4つの門のうち、内裏外郭の東門でした。

「源氏物語ゆかりの地説明板」 bP2 平安宮内裏東限と建春門跡もどうぞ。

 松林寺境内が周囲より低くなっているのは、安土桃山時代に築かれた聚楽第の南外濠跡にあたることからだそうです。


 松林寺の前から伸びている裏門通を北上し、左折して出水通を西へ進みます。







平安宮内裏淑景舎(桐壺)跡

 出水通沿いのロウソク店の前に説明板があります。このあたりが淑景舎跡こと桐壺跡です。
 内裏北東隅にあり、清涼殿からもっとも遠い殿舎でした。

 『源氏物語』において、光源氏の母である更衣(こうい)の曹司で知られていますね。

「源氏物語ゆかりの地説明板」 bX 平安宮内裏淑景舎跡(桐壺)もどうぞ。





 出水通を左折して、浄福寺通を南へ歩くことで宣耀殿跡・麗景殿跡(ともに説明板や石碑はなし)を歩いていることに・・・。ここは妄想で補います。

 やがて承香殿跡を東から西へと通りぬけ、清涼殿が見えてくるイメージをふくらましましょう。







平安宮内裏清涼殿跡

 民家に掲示された説明板が見えてきました。現在の京都御所の清涼殿の写真を見つつ、妄想をふくらませます。

 清涼殿は紫宸殿の北西に位置し、天皇の日常の居所でした。

「源氏物語ゆかりの地説明板」 bS 平安宮内裏清涼殿跡(天皇の居所)もどうぞ。



清涼殿イメージ
※写真は現在の京都御所のものです。


清涼殿イメージ
※写真は現在の京都御所のものです。







平安宮内裏弘徽殿跡

 清涼殿跡の説明板の向かい側(北側)に弘徽殿跡をしめす石碑と説明板があります。

 弘徽殿は平安宮内裏内の後宮七殿<承香殿・常寧殿・貞観殿・麗景殿・宣耀殿・弘徽殿・登華殿>のひとつです。

「源氏物語ゆかりの地説明板」 bR 平安宮内裏弘徽殿跡もどうぞ。



 そして土屋町通を北へ進みます。







平安宮内裏飛香舎・凝華舎(藤壺・梅壺)跡

 土屋町通沿いの民家兼工場に説明板があります。たぬきの置物が目印です。

 飛香舎は清涼殿の北、凝華舎(梅壺)の南に位置し、南面の中庭(壺)に藤の木が植えられていたことから藤壺と呼ばれました。

 凝華舎は、飛香舎の北、襲芳舎の南に位置し、南面する中庭(壺)に紅白の梅の木が植えられていたことから、梅壺と呼ばれました。

「源氏物語ゆかりの地説明板」 bQ 平安宮内裏凝華舎跡(梅壺)・飛香舎跡(藤壺)もどうぞ。





 意外と内裏の中の建物は密接していたように感じられます。パーソナル・スペースを確保するのが大変そう・・・なんて話をしながら歩いたのでした。




平安宮内裏蘭林坊跡へ



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