花橘亭〜なぎの旅行記〜平安時代好きの京都旅行記陽春の京都廬山寺



ろざんじ
廬山寺

紫式部邸宅址


廬山寺

 廬山寺の玄関前に、画像左から「源氏物語ゆかりの地説明板」、紫式部と娘の大弐三位(だいにのさんみ)の歌碑、解説板が設置してあります。





紫式部 大弐三位 歌碑


 
 有馬山 ゐなの笹原 風吹けば
    いでそよ人を 忘れやはする

               大弐三位



 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
    雲がくれにし 夜半の月影

               紫式部


 上記の二首の歌はともに、『百人一首』に収められています。
 紫式部の歌の第五句は出典元の『新古今和歌集』では、夜半の月かげですが、『百人一首』では夜半の月かなとなっています。



解説より

紫式部 歌碑
大貮三位

大貮三位

 作者は名を賢子と言い、父は右衛門権佐・藤原宣孝、母は紫式部 長保二年(1000年)に出生、永保二年(1082年)に薨じた。親仁親王(のちの後冷泉天皇)の乳母となり、従三位典侍に昇進した。三位であると共に大宰大貮・高階成章と結婚したため、宮廷では大貮三位と呼ばれた。
歌人としては母親に匹敵するほどの才媛で、歌集「大貮三位集」を遺した。極めて聡明で人徳があり、乳母典侍として、後冷泉朝の宮廷文化の昂揚に大きく寄與した。


紫式部

 紫式部は、越後守・藤原為時の娘で、名は香子と言ったらしい 生年は天延元年(973年)頃、没年は長元四年(1031年)頃と推定される 夫・藤原宣孝の卒後、中宮・藤原彰子に仕えた
 中古三十六歌仙のひとりとされ、大作「源氏物語」のほか「紫式部日記」「紫式部集」といった作品がある その文名は遍く知られており、ユネスコによって、「世界の偉人」のひとりに選定されている


平成七年(1995年)九月
文學博士  角田文衞 撰




≪中宮彰子と紫式部・賢子の系図≫

藤原彰子も紫式部も先祖は、藤原定方でした。




<管理人のサイト 紫式部・大弐三位藤原賢子 紹介ページ>
『花橘亭〜源氏物語を楽しむ〜』「紫式部について」
『花橘亭〜源氏物語を楽しむ〜』「紫式部について」大弐三位藤原賢子





廬山寺 玄関

玄関
入口には御簾が掲げてあり、素敵です。



屏風絵 花車

玄関の屏風絵
拝観受付で、拝観料をおさめます。
堂内は撮影禁止です。



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