『花橘亭〜なぎの旅行記〜』「平安時代好きの京都旅行記」新緑の京都



新緑の京都

2008年5月15日


         ぎょうかしゃ(うめつぼ)  ひぎょうしゃ(ふじつぼ)
平安宮内裏凝華舎(梅壺)跡・飛香舎(藤壺)跡

●所在地 :京都市上京区土屋町通出水下る西神明町
●交通 :市バス「千本丸太町」下車または「千本出水」下車




土屋町通沿いに
「平安宮内裏凝華舎(梅壺)跡・飛香舎(藤壺)跡」
説明板があります。


 凝華舎(梅壺)は、内裏の七殿五舎のひとつで、女御などが住んだ御殿でした。凝花舎とも記されます。
 庭に梅の樹があったことから梅壺とも呼ばれています。
 清涼殿の北西に位置し、南の飛香舎(藤壺)、北の襲芳舎(雷鳴壺)とは、それぞれ渡廊によって結ばれていました。

 
≪なぎ作成:平安宮内裏図≫


 飛香舎(藤壺)もまた、内裏の七殿五舎のひとつで、清涼殿から近く、皇后・女御などが住んだ御殿です。
 庭に藤が植えてあったことから藤壺とも呼ばれています。
 凝華舎(梅壺)の南、清涼殿の北に位置し、それぞれ渡廊によって結ばれていました。



「源氏物語ゆかりの地」説明板 bQ 平安宮内裏凝華舎(梅壺)・飛香舎(藤壺)跡
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■『源氏物語』登場する梅壺
 
 <賢木木>において、弘徽殿を朧月夜に譲った弘徽殿大后が参内する際は、この梅壺を局としています。
 <絵合>において、光源氏の養女として冷泉帝に入内した秋好中宮は梅壺に住んでいました。


■『源氏物語に登場する藤壺

 桐壺帝の御世では、光源氏が恋焦がれた藤壺中宮が住み、朱雀帝の御世では、藤壺中宮の異母妹である藤壺女御(女三宮の母)が住みました。また、今上帝の御世では女二宮(のちに薫に降下)の母である女御が麗景殿から藤壺へ移り住んでいます。

京都御所 飛香舎<藤壺>の様子(2005年撮影)



受け継がれていった藤壺 系図




平安宮内裏南限と建礼門跡へ
建礼門跡へ



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