『花橘亭』「平安時代好きの京都旅行記」初春の京都



初春の京都
〜2007年1月14日〜

『平安京探偵団』のヨウダさんに洛西を案内していただきました。
その節はありがとうございました!!m(_ _)m



おおはらのじんじゃ
大原野神社

●所在地 :京都市西京区大原野南春日町
●交通 :阪急バスまたは市バス「南春日町」下車 徒歩10分
大原野神社ホームページ


↓看板より↓
   大原野神社

 祭神として、奈良の春日大社と同じ建甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売大神(ひめおおかみ)の四大明神を祀っている。
 当初は桓武天皇の皇后である藤原乙牟漏の意によって藤原氏の氏神として長岡京に勧請されたが、嘉祥3年(850)藤原冬嗣の奏請により神殿が建てられ、京都の守護神としてこの地に祀られたものである。
 平安時代の中期には藤原氏の隆盛とともにその氏神として大きな地位を占め、天皇や皇后の崇敬も厚く、官祭である大原野祭には勅使が派遣されていた、伊勢の斎宮や加茂の斎院にならって当社にも斎女(いつきめ)がおかれていた。しかし、応仁の乱後は社運が次第に衰え、祭儀も絶えがちになり、社殿は荒廃した。現在の春日造総檜皮葺の本殿は慶安年間(1648〜1652)に再建されたものである。
 境内には奈良の猿沢の池を模した「鯉沢の池」や古歌に多く詠まれた「瀬和井(せがい)の清水」と呼ばれる名水がある。

     京都市


大原野神社 鳥居 鳥居
鯉沢の池  奈良にある猿沢の池を真似て造られた「鯉沢の池」
 
鯉沢の池

 左大臣藤原冬嗣を祖父とした文徳天皇は、壮麗な社殿と共に鯉沢の池をも作った。
池は名泉瀬和井と水系を一つにして杜若や水蓮を咲かせ親しまれている。

瀬和井  瀬和井(せがい)

清和天皇産湯の清水とも伝えられ、古来歌枕にあがり数々の和歌に詠まれて名高い。


大原や小塩の山のほととぎす
 われに神代のことかたらん
          左大臣


大原や小塩の山の小松原
 はや木高かれ千代の蔭見ん
          紀貫之


大原やせがいの水を手にむすび
 鳥は鳴くとも遊びてゆかん
          大伴家持


夜を寒みせがいの水は氷るとも
 庭燎は春のここちこそすれ
          大江匡房
瀬和井
鳥居  鳥居

 お正月の門松が飾ってありました。
お手水  お手水

 鹿が巻物(?)を加えていて、巻物から水が流れ出ています。
牡鹿  狛犬ならぬ神鹿
向かって右側は牡鹿です。
雌鹿  狛犬ならぬ神鹿
向かって左側は雌鹿です。
社殿 御祭神

建御賀豆智命
 (たけみかづちのみこと)
伊波比主命=経津主命
 (いわいぬしのみこと=ふつぬしのみこと)
天之子八根命
 (あめのこやねのみこと)
比淘蜷_
 (ひめおおかみ)
お社  お社

大原野神社の神域は83,000平方メートルあり
そのうち66,000平方メートルは緑の林となっています。


『源氏物語』<行幸>巻において冷泉帝は大原野の地に行幸されました。





がんとくじ
願徳寺

●所在地 :京都市西京区大原野南春日町1223−2
●交通 :阪急バスまたは市バス「南春日町」下車 徒歩20分


 正式には、「仏華林山 宝菩提院 願徳寺」といいます。
679年(白鳳8年)、持統天皇<天武天皇皇后>の願いによって向日市寺戸に創建されたお寺で、徳のある願いによって建てられた故に「願徳寺」といいます。
 中興の開山としては、平清盛の弟・平教盛の子である小川法院忠快(1162年〜1227年)という人物がいます。忠快は1185年(文治元年)の壇ノ浦の合戦より生還し、伊豆に配流されますがのちに帰京し、小川の地(現、京都市東山区高畠町)にあった父の第宅を返却され、住房小川殿と持仏堂宝菩提院を営みます。後に宝菩提院と共に願徳寺へ移りました。


願徳寺  お寺の方による解説を聞きながらの拝観です。

 解説の途中、照明が消えて、平安前期作の如意輪観世音菩薩半跏像だけがライトに浮かび上がる演出が素敵でした。

 また向かって右側には中興の開山として平清盛の弟・平教盛の子である忠快和尚<小川法印忠快>の像がありました。
 仏像では薬師如来立像が平安時代後期の作で優美な姿でした。ヨウダさんのお話によると、平家一門も手を合わせた仏像かもしれないとのことでした。
 思いがけず平家ゆかりのお寺を拝観できて嬉しかったです。o(^-^)o
願徳寺


勝持寺へ




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