『花橘亭』「平安時代好きの京都旅行記」初春の京都



初春の京都
〜2007年1月13日〜

れいぜんいんあと
冷然院跡

●所在地 :京都市中京区竹屋町通堀川西入
 (二条城北)
●交通 :市バス「二条城前」下車

二条城北東 冷然院跡

 ここは、平安前期〜中期、冷然院があったところである。
 弘仁年中(810〜824)嵯峨天皇の離宮として造営されたのがはじめで、林泉を前に数十の建物が建ち、天皇はしばしば行幸になって、華麗な詩歌の宴を行い、譲位後は、後院(上皇の御所)として使用された。
 嵯峨上皇の後、冷然院は皇室の重要な財産として伝えられ、代々天皇の離宮・後院として利用された。
 建物は前後四回火災にあったが、そのたびに面目を一新して再建され、その間に然の字を改めて冷泉院とした。
 天喜3年(1055)にとりこわされ、以後の状況は不明であるが、平安前・中期の二百年以上にわたり、代々皇室に愛好され、林泉の美をたたえた文学作品も多く、平安文化の一中心でもあった。

     京都市
冷然院跡

 平安左京二条二坊の三〜六町の四町にあたり、大炊御門・二条・大宮・堀川の各大路に画されていました。
 当初は、「冷然院」と称していましたが、度々の火災により“然”の字は“燃”に通じることから、「冷泉院」に改められました。



『源氏物語』においては、光源氏と藤壺の中宮の不義の子・
冷泉帝が譲位後、この冷泉院を御所として暮らしました。(^o^)/

源氏物語絵巻(鈴虫二)

冷泉院における月見の宴
大人の塗り絵ノート「源氏物語絵巻」編より国宝 源氏物語絵巻「鈴虫(二)」
絵:須貝稔  塗り絵:私(なぎ)です。
上の画像にマウスカーソルをあてていただくと、人物の位置関係がわかります。



『枕草子』第20段 家は において、れんぜい院 が挙げられています。


 家は 近衛の御門。二条、みかゐ、一条もよし。染殿の宮。清和院。すが原の院。れんぜい院。閑院。朱雀院。小野宮。紅梅。あがたのゐど。たけ三条。小八条。小一条。

<小学館発行・新編古典文学全集18「枕草子」 より引用>



冷然院跡を訪れたあと、市バスで「二条城前」から
「堀河下立売」まで乗車後、下立売通を東へと歩いて行きました。



菅原院天満宮神社(菅家邸址)へ




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