初春の京都
〜2007年1月13日〜
かんがくいんあと
勧學院址
●所在地 | :京都市中京区西ノ京勧学院町 |
●交通 | :市バス「千本三条」下車 徒歩5分 |
勧学院は、藤原氏出身の大学寮学生のための寄宿舎でした。 821年(弘仁12年)藤原冬嗣が創設。 871年(貞観13年)ごろ大学別曹<大学付属施設>として認可されました。設立・維持・管理は全て藤原氏によるもので、氏族共同の事務も扱ったため、藤原氏氏院とも呼ばれました。 |
こうぶんいんあと
弘文院址
●所在地 | :京都市中京区御池通千本東入北側 |
●交通 | :市バス「二条駅前」下車 |
平安初期に和気氏によって設立された大学別曹<大学付属施設>。 和気清麻呂(733年〜799年)の長子・広世が延暦年間(782年〜806年)に大学別当となり、父の志を継いで大学南辺の私宅を弘文院としました。内外の経書数千巻を蔵し、墾田40町を財源とし学料に充てたといわれます。 大学別曹の中で最古のものですが、嘉祥年間(848年〜851年)の落雷などもあり、和気氏の衰微とともに荒廃しました。 |
●所在地 | :京都市中京区西ノ京北聖町 |
●交通 | :市バス「二条駅前」下車 |
大学寮は、平安時代の高等教育機関でした。 当初、朱雀大路の東、神泉苑の西、二条大路の南、三条坊門小路の北に当たる四町の区域を占めていましたが、平安末期には一町のみに減少します。 式部省の管轄下にあり、大学頭以下の事務官、博士以下の教官、儒学専攻・数学専攻の学生から成り、官人養成機関として発足しました。その後、紀伝(漢文学・中国史)・明経(儒学)・明法・算の四道(四学科)制が貞観年間(859年〜877年)に確立しました。 平安時代前半(10世紀半ばまで)に最盛期を迎え、有数の学者を輩出しました。しかし律令制度崩壊期の平安時代後半には衰退し、保元の乱(1156年)が起こった頃には教育機能を失い、1177年(治承元年)の大火とともに廃絶しました。 |