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『花橘亭』「平安時代好きの京都旅行記」[平安な秋の京都]



平安な秋の京都
〜2006年10月28日〜

早朝の山中油店さん 早朝の山中油店さん
上京歴史探訪館 山中油店さんのお向かいにある上京歴史探訪館
午前9時開館と思い込んでいたら10時開館でした。(^_^;)

開館時間まで周囲を散策です♪




平安宮内裏跡妄想散策の始まり。


なぎ作成の平安宮内裏と合わせてご覧下さい。
(新しいウインドウで表示)



淑景舎(桐壺)跡
しげいさ(きりつぼ)あと

桐壺跡  どこからどう見てもコーポなのですが、ココにかつて内裏の後宮のひとつ・淑景舎(しげいさ)がありました。

 壺に桐を植えたので「桐壺」ともいいます。

 帝の住まう清涼殿から最も遠いです。 『源氏物語』の源氏の君の母・桐壺の更衣はココで過ごしたことになります。

 また、源氏の君も宿直所として桐壺で生活することもあり、有名な「雨夜の品定め(女性談義)」もここで行われました。

 さらに源氏の娘・明石の姫君も入内後は、桐壺に住みました。

2008年3月に「源氏物語ゆかりの地」説明板bX 平安宮内裏淑景舎(桐壺)跡が設置されました。





昭陽舎(梨壺)跡
しょうようしゃ(なしつぼ)あと

梨壺跡  どこからどう見ても、駐車場なのですが、ココにかつて昭陽舎(しょうようしゃ)がありました。
 南面の壺に梨を植えたので「梨壺」ともいいます。

 村上天皇の御世に、ココに和歌所が置かれ、坂上望城・紀時文・大中臣能宣・清原元輔・源順の五人が『後撰和歌集』の編纂と『万葉集』の訓点を施す作業をしました。
彼等を「梨壺の五人」といいます。
梨壺跡  昭陽舎(梨壺)跡から淑景舎(桐壺)跡であるコーポが見えます。

2008年3月に「源氏物語ゆかりの地」説明板bP0 平安宮内裏昭陽舎(梨壺)跡が設置されました。







平安宮内酒殿跡発見の井戸と木簡
へいあんきゅううちのさけどのあとはっけんのいどともっかん

●所在地: 京都市上京区日暮通下立売上る西入分銅町556
(京都市出水老人デイサービスセンター)

平安宮内酒殿跡発見の井戸と木簡  平安宮内酒殿跡発見の井戸と木簡

 平安宮は平安時代に政治や儀式が行われた所で、東西378丈(約1128m)、南北460丈(約1373m)の広大な地域に宮殿や役所が建ち並び、中央部には大極殿(現千本丸太町付近)が、北東部には天皇の居住した内裏がありました。現在地点は内裏の東側にあたります。
 1996年5月、この場所で平安宮跡初の井戸を発見しました。井戸は一辺5,5m、深さ7mの穴を掘り、中央に2,1m四方の木枠を組み上げた巨大なものです。この井戸から文字の書かれた木の札が一枚出土しました。
これは木簡と呼ばれるもので、役所に飯を請求した経緯が記されており、弘仁元年(西暦810年)に井戸が造られたこと、ここに内酒殿(うちのさけどの)という内裏に納める酒を醸造した役所があったこともわかりました。
平安宮内酒殿跡発見の井戸と木簡





建春門跡
けんしゅんもんあと
松林寺(しょうりんじ)

●所在地 :京都市上京区智恵光院通出水下る分銅町

建春門跡  建春門は、内裏の外廊の東門です。
 左衛門府の詰め所(左衛門の陣)がありました。

2008年3月に「源氏物語ゆかりの地」説明板bP2 平安宮内裏東限と建春門跡が設置されました。







朝の綾綺殿も清清しいです☆
(まだ開店前。水曜はお休みです。)


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『花橘亭』「平安時代好きの京都旅行記」[平安な秋の京都]