『花橘亭』「平安時代好きの京都旅行記」残暑の京都源氏物語と京都「六條院へ出かけよう」



風俗博物館出張展示 京都文化博物館別館
源氏物語と京都「六條院へ出かけよう」


六條院行幸

六條院行幸


寝殿を南東から見たところ  六條院行幸の様子を東側から西側へと見ていきましょう♪
 渡殿の女房たち 渡殿の女房たち
 寝殿東廂の女房たち 寝殿東廂
寝殿東側簀子
 一日晴の裾(きょ)を高欄にかけています。
 束帯の袍(うえのきぬ)の下に着る下襲(したがさね)のすその部分を裾(きょ)という。平安時代初期までは等身であったが、次第に長くなり官位の高さに応じて長く引きずるようになった。
一日晴の裾
 寝殿東廂の女房たち

 大勢の女房が伺候しています。
女房たち
 寝殿昼御座に控える蔵人頭 蔵人の頭
光源氏・冷泉帝・朱雀院  左から、源氏の君・冷泉帝・朱雀院。
朱雀院 朱雀院
 源氏の君の異母兄。先の帝。
 直衣布袴姿。

 朱雀院の後ろには、裙帯比礼の物具姿の女房が控えています。
冷泉帝 冷泉帝(今上帝)
 桐壺帝と藤壺中宮との子とされるが、実は源氏の君の子。麹塵の袍を着ています。
 後ろには、御倚子(ごいし)の左右に剣璽台(けんじだい)が置かれています。
剣璽=三種の神器のこと。草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。
源氏の君 左:源氏の君
  (準太政天皇)

 秘められた実の子である冷泉帝を見つめる源氏。束帯姿です。
 寝殿西側の簀子
 裾(きょ)は、身分や年齢に応じて織紋や色目に差があったが、袍に比べて比較的自由であった。特殊な儀式や行幸、行啓の際には、「一日晴」というその一日だけ特別な色、染物、唐織物の裾が許され、華麗な衣裳の競演となった。
一日晴の裾
 六位【手前】・七位【奥】の武官。 六位・七位の武官
 八位の武官。 八位の武官
寝殿南西からみた様子  寝殿南西から見た様子
打出(うちいで)

 寝殿や対の屋の御簾の下から、女房装束の袖口の重ね色目をはなやかに見せる装飾。
 着飾っている女房が居並んでいるように見せるが、実際は重ねた装束を朽木文様の几帳の帳ごと抱え込むように絞り、左右の袖口から出した裳の紐で結んである。行幸のほかに、大饗や祭会、その他の祝儀などの晴儀に用いる。
<博物館解説より>
打出 オモテ
打出 ウラ


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