『花橘亭』「平安時代好きの京都旅行記」春は名のみの京都



御池通を歩く2

神泉苑をあとにして、再び御池通を歩きました♪
御池通の地図はこちらをご覧ください。(^_-)-☆

大宮通り 大宮通り  「大宮通り」
平安京の大宮大路にあたる。
北は、御薗通りの北から久世橋通りの一筋南に至る。
途中、二条城で中断。全長10キロメートル。
二条城から南へ東寺系の神泉苑を横にみて、二条陣屋を経て、四条大宮〜東寺方面に至る。
     京都(大路 小路)より
黒門通り 黒門通り  「黒門通り」は天正十八年(1590年)、秀吉の都市改造以後、新たに開設された通りである。猪熊通りと大宮通りの間に位置する。
通り名の由来は「太閤秀吉公 聚楽城の鉄門の有し通りゆえ号す」と記されている。江戸時代には、黒門通り二条城より南の御池通り以南では、呼称「新シ町通」「御太刀松通」「竹屋町通」「丹波屋町通」と色々あったが、昭和二十年頃に黒門通りに統一された。
北は「元誓願寺通り」から、南は「JR東海道線」までに至る。
     京都(大路 小路)より


京都で一番小さな京町屋「仕舞屋(しもたや)」前の礎石

御池通と黒門通が交わるところで、謎の礎石発見!
看板には↓のように書いてありました。


「不思議な礎石」(京の歴史を知っている礎石)


藤原長家(道長の六男)の邸の礎石かもしれないのですね!
撫で撫でしてきました。
歴史をみてきた石なのですね〜。

礎石


           猪熊通り 平安京時代につくられた道である。南北に細長く貫通している。古くには「猪隈」と北の方で呼ばれ、南では「南市門」と名付けられていた。
<「京都二条城城下町」パンフレットより>
         岩上通り 豊臣秀吉の京都大改造後に新通された通である。もともと北の元誓願寺通より、南は松原通までだったが、徳川家康が二条城を構築した為、現在に至る。
<「京都二条城城下町」パンフレットより>
堀川通 堀川通り  「堀川通り」 京都の中央部を南北に貫く堀川にその名が由来する。
堀川の水源は明確ではないが、平安京造営以前まで、鴨川がこの川筋を流路したと云う説がある。
川をはさんで東堀川通りと西堀川通りがあり、現在の堀川通りは西堀川通りにあたる。近年、市街地整備のため、幅50メートルに拡張されて、南北幹線道路となる。
     京都(大路 小路)より


御池通は歩いていて楽しい通りでした♪

次は、中央区総合庁舎前のバス停
「堀川御池」から市バス9系統に乗ります。


「平安京 検非違使庁跡」の石碑へ




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