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左奥にあるのが 「漢竹(かわたけ)」 |
右側にあるのが 「呉竹(くれたけ)」 |
吉田兼好の『徒然草』第二〇〇段には、以下のように書かれています。 呉竹は葉細く、河竹(かはたけ)は葉広し。御溝(みかは)に近きは河竹、仁寿殿(じじゅうでん)のかたに寄りて植ゑられたるは呉竹なり。 (呉竹は葉が細く、河竹は葉の幅が広い。清涼殿の前庭を流れる御溝に近くあるのは河竹で、仁寿殿の方に寄って植えられているのは呉竹である。) 『新編日本古典文学全集44 徒然草』(校注・訳 永積安明/ 小学館 発行)より本文・訳引用 注)現在の京都御所に、仁寿殿はありません。 |
では、清涼殿の南側から見ていきましょう♪ 「漢竹」の横から南を見ると、月華門が見えました。 清涼殿は、簀子縁と長橋によって紫宸殿に通じています。 |
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「年中行事障子」 宮中の年間行事が記されています。 障子が置かれている部分の板は、踏むと音が出る「鳴板(なるいた)」になっています。 |
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清涼殿の東南側 | |
「石灰壇(いしばいだん)」 床を漆喰で固めてあり、後方には屏風が立てられています。 天皇が斎戒沐浴し伊勢神宮を遥拝された所でした。(だから東を向いているのでしょうか。) |
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手前は昼御座(ひのござ)。 母屋には、獅子狛犬に守られて御帳台(みちょうだい)が置かれています。 右側には、夜御殿(よんのおとど)の入り口を隠すように几帳が置かれています。 |
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清涼殿の北東側 「昼御座」の北には「御二間」、その北に「弘徽殿(こきでん)の上の御局(みつぼね)」があります。 |
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「御二間」 御格子ふたつ分の中のお部屋です。 御二間の西隣りに夜御殿があります。 右に写っているのは、土佐光清筆の「昆明池障子」。 |
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「弘徽殿(こきでん)の上の御局(みつぼね)」 御格子ふたつ分の中のお部屋が弘徽殿の上の御局です。 写真右側に写っているのが「荒海の障子」。「荒海の障子」のことは、『枕草子』にも書かれています。 |
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北東から見た清涼殿 | |
清涼殿の北 白い看板のあたりが「滝口」。 小さな落差のある滝があります。 清涼殿を警固する武士がココに侍っていたので「滝口の武士」と呼ばれるようになりました。 |
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清涼殿から見た紫宸殿の北側 |
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