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荒海の障子
清少納言の『枕草子』(第21段)より
清涼殿の丑寅の隅の、北のへだてなる御障子は、荒海のかた、生きたる物どものおそろしげなる、手長足長などをぞかきたる。上の御局の戸を押し開けたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。 |
≪なぎ訳≫ 清涼殿の東北の角の、北を隔てている衝立は、荒海の絵や、生きている物たちでいかにも恐ろしい様子の手長・足長などが描いてあるの!弘徽殿(こきでん)の上の御局(みつぼね)の戸を押し開けてあるので、常に見えるのを、「憎ったらしい」なんて思って笑うの。 |
清涼殿の「荒海の障子」は、当初は9世紀後半の宮廷画家・巨勢金岡が描いた絵でしたが、焼失の度に原図や模本から作画されたと伝えられています。 現在の清涼殿の「荒海の障子」は土佐光清筆の墨絵です。 |
風俗博物館で展示されていた衝立。 (清涼殿の「荒海の障子」を参考にされたのだと思います。) 荒海の浜にいる手長・足長の怪物の絵が描かれています。 |
しょうじ【障子】ショウジ (「さえぎるもの」の意で)部屋と部屋との間を仕切る建具の総称。古くは今の襖ふすまのことで、他に、明かり障子(=紙ヲハッテ光ヲ通ス今ノ障子)や衝立ついたて障子などがある。◎「さうじ」とも。 ≪「最新 詳解古語辞典」佐藤定義 編/明治書院 発行≫ |
【本文引用】 | |
・新編日本古典文学全集18 「枕草子」 | 松尾聰・永井和子 校注/小学館 発行 |
【訳 参考】 | |
・「桃尻語訳 枕草子 (上)」 | 橋本治 著/河出書房新社 発行 |
【参考】 | |
・「日本史大事典」 | 平凡社 発行 |
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