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いるか
入鹿の首塚
飛鳥寺の西側に「入鹿(いるか)の首塚」と呼ばれる五輪塔があります。 背後の丘陵は、甘樫丘(あまかしのおか)。 ■伝承 1 大化の改新の前、乙巳の変(いっしのへん)にて中大兄皇子<なかのおおえのおうじ=中大兄皇子/のちの天智天皇>と中臣鎌足<なかとみのかまたり=のちの藤原鎌足>たちによって討たれた蘇我入鹿の首を埋めた墓という説。 ■伝承 2 飛鳥寺に住み、ここで亡くなった僧・恵聡<恵聰>の供養塔という説。 私たちが訪ねた日は、お花が供えてありました。 |
説明板 | |
飛鳥寺西門跡 飛鳥寺は西暦588年につくり始められた日本最初のお寺。塔を中心にその北と東西に三つの金堂がたっていた。北の中金堂にあった鞍作鳥作といわれる飛鳥大仏は、いまもその位置を動いていない。西門は礎石をおいて柱を建てた瓦葺きの門。開口3間11,5m、奥行2間5,5mの規模だった。門の西には塀があり、土管をつないだ上水道が埋まっていた。寺の四方に開いた門のなかでは、この西門が最も大きい。寺の西に、飛鳥寺の檜舞台、「槻(ケヤキの古名)の木の広場」があったからだ。中大兄皇子と藤原鎌足はここの蹴鞠の場で出合い、645年に大化改新をなしとげた。この時、二人は飛鳥寺に陣をかまえ、西門から甘樫丘の蘇我入鹿・蝦夷の舘をにらんでいた。672年の壬申乱の時には広場を軍隊がうめつくした。その後は、外国使節や遠方の使者を歓迎する宴会の広場となり、噴水がおかれ、歌や踊りが満ちあふれた。西門はそんな飛鳥の歴史をみまもってきたのだった。 |
飛鳥寺の境内を通り抜け、門前のお土産屋さんに立ち寄ります。 |
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