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秋の京都
~11月3日~
宇治
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JR嵯峨野線から京都駅でJR奈良線に乗り換えました。 JR奈良線車内広告で、関門海峡(壇ノ浦)への旅行案内ポスター発見! 嬉しかったりします。o(^-^)o 当サイト内の「PICK UP」で下関市・北九州市門司区の源平関連の史跡をご紹介しています。 |
JR「宇治」駅 名物!? 茶壺形ポスト。宇治市制50周年記念に造られたものだそうです。 |
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JR宇治駅前の商店街入口も 『源氏物語』宇治十帖チックです♪ |
JR宇治駅前では、私たちが訪れた日、「源氏物語を歩く旅」宇治十帖スタンプラリーの用紙が配布されていました。 時間が遅かったので、スタンプ台設置場所を全部まわることは不可能ですが、用紙が素敵だったのでいただいてきました。(^^) |
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「夢浮橋古蹟」源氏物語宇治十帖と紫式部像 |
せっかくなので、「夢浮橋(ゆめのうきはし)」ポイントで、スタンプラリー帳にスタンプをいただきました。 スタンプには薫と浮舟が描かれています。 |
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紫 式部 (978~1016?) 『源氏物語』54帖の作者として知られる女流文学者。ここ宇治川の畔り一帯に華やかな貴族文化の花が開いた王朝の世に登場した才媛とは知られていても、その生涯には謎が多く、生・没年さえ正確にはわかっていない。父は越前守藤原為時、漢学に秀でた人であったという。式部は少女時代から父に漢籍を学び、その文才を高めたようである。越前国司に任じられた父にしたがって、福井県武生市にあった越前国府に暮らしたこともあったが、999(長保元)年頃に藤原宣孝と結ばれて大弐三位を生む。だが1001年に宣孝が死去。その後しばらく「里籠り」(寡婦生活)の日を送る。 -『源氏物語』の執筆はそのころ始められたらしい。 やがて、今をときめく左大臣藤原道長から、一条天皇の中宮となった娘の彰子の女房として仕えるようにと召しだされ、宮仕えの身となる。『源氏物語』が当時の宮廷社会の実情をリアルに描写しつつ、和漢の古典から得た博識を巧みに織込み、また、因果応報の人生観を包蔵する人間性を追求した長編にまとめられているのはこのような式部自身の境遇によるもの・・・、と言ってよいであろう。 紫式部には、女房として宮仕えをしていたころの生活を綴った『紫式部日記』(1008秋~1010春)や、歌人としての非凡な才能が知られる『紫式部集』があり、当時の公家のようすを伝える貴重な遺作となっている。 宇治ライオンズクラブ 結成10周年記念事業 2003年12月吉日建立 ≪看板より≫ |