御池通を歩く1
JR二条駅前をあとにして、神泉苑へ
行くために御池(おいけ)通りを歩きました。
JR二条駅前の 御池通りにて |
御池通り | 「御池通り」 平安京の三条坊門小路にあたる。 (全長4,9キロメートル。) 東は川端通りから西は天神川通り(葛野中通)に至る。途中、JR二条駅で中断。 呼称については、諸説もあり、宝暦十二年(1762)の「京町鑑」には 「此通の号は神泉苑の前通ゆへ斯くよぶ」とある。 延暦十九年(800)に桓武天皇が行幸されて以来、神泉苑に於いて雨乞いのエピソードを残している。神泉苑を原点とした御池通りもかつては狭い道路であった。 昭和二十年堀川通より東は、道路拡張があり、五十メートル道路になった。 京都(大路 小路)より |
千本通り | 「千本通り」 平安京の朱雀大路にあたる。 北は、鷹峯源光庵の南から 南は宮前橋の東に至る。全長1,7キロ。 平安京造営の大極殿正門前の朱雀門に導く朱雀大路のことである。 千本通りと呼ばれたのは、いつ頃からか明らかではない。 両側に立ち並んだ千本の卒塔婆に由来するとも云われている。 千本の桜が並木を、又、松並木であったとも云われている。 京都(大路 小路)より |
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東千本通り (旧新道通り) |
「東千本通り」通称 千本通りから東へ一筋目、御池通りを南北に渡る道。 「旧新道通り」通称 千本通りと坊城通りとの間にあり、三条通りから押小路通りに至る。 細い道路である。 |
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坊城通り | 平安京の坊城小路にあたる。北は御池通から南は七条通まで。坊城小路の一帯が「壬生」と呼ばれているのも「壬」が水を意味するため。 <「京都二条城城下町」パンフレットより> |
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智恵光院通り 美福通り |
「智恵光院通り」 「美福通り」 「女学校前通り」 とも云われている。 二条城西堀沿いに面した通りを云う。 北は大徳寺南前門前から、南は竹屋町通に至る。 通り名の由来は、一条上ル西側に浄土宗智恵光院と云う知恩院の末寺による。 京都(大路 小路)より |
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矢城通り | 北は御池通から、南は後院通までの細い道。 <「京都二条城城下町」パンフレットより> |
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神泉苑通り | 「神泉苑通り」 北は、押小路通りから南は蛸薬師通りに至る。全長0,7キロ。 この通りは北域は二条城で中断しているものの、日暮通りにあたり、南域は櫛笥通りに通じている。 東寺末寺の護国寺である神泉苑に通り名は由来する。 二条城築城(1601〜)頃からの開通であろうと考えられる。 この通りには道路に沿って水路が南に走っていた。 今は暗渠に成っているが、二条城のお堀の水がその淵源である。 京都(大路 小路)より |